深夜に生きる

幹線道路前ドラッグストアの深夜。
閉店した店前はシャッターが降りていても白っぽい蛍光灯が眩しく
何も走っていない道路の街路樹か主要道路の橋桁に影になっている。
私は歩道の花壇に座って毎分徘徊する歯抜けの老人とシャッターの一際明るい所で上半身裸のマリリン・モンローみたいな痴女と時折やって来るモンローの雇主みたいな人とのやり取りや痴女を見つけてチップを渡す深夜の人間をずっとずっと眺めていた。
人の通りは少ないけれど物騒では無くて
みな、この時間で人生を過している、干渉は最低限の住人達の雰囲気と、寒くも暑くもないカラリとした空気が心地良かった。

ふと毎分来る老人がモンローに気付いて明るい所に近付き、二三頷いたと思ったらモンローに「モデルにならへんか、ええ体しとる、ほんまにええから、わしは画家やってん。」
モンローは営業らしい顔していたけど気分を良くして下半身も丸裸になってモデルとなり画家は座り込み、カンバスと油彩のような道具で本当に真面目に描き出した
私はその風景が、人と人が関わった瞬間の興奮した思いを噛み締めていたら母がやって来て
「出る時間やで、行くで」と歩き始めたので私もつられて立ち上がった、行く先が何処かは分からなかった。
モンローと画家にはモンローの雇主みたいな人も一緒になって駐車場は侘しいながらも深夜の賑わいみたいな空気だった。
やらしい、嫌な展開にはならないだろう、真面目なまま朝を迎えるだろうと思った。

母とは気付いたら新幹線やら飛行機を乗り継ぎ
、いつの間にか琵琶湖を空から見下ろしていた

グーグルストリートビューくらいの距離で琵琶湖の青黒いのが見えて、天気は悪くないと思った
けれど、天気は荒れているらしく飛行機の中は少し落ち着かない人々が多く、私もなんだかソワソワしながら琵琶湖を見ていたら
湖畔の波がグワーーーーッと中心に引いていく
草木の根も見えるくらいで一目で「ヤバいな、これは大きな波になって街を浸すな」と怖さがあった
どうやら荒れた天気は台風らしく、なのに雲が全く無くてヒタヒタに地図が水に浸かるの想像できて「誰かに言わないと、誰かに電話したい、早く」

焦っていたら、いつの間にか大阪梅田駅にいた
新幹線で遠距離の旅を悠長に終え8番出口を探していた
人がひしめき合って、人の少ない所を進みJRの駅員に「8番出口から出たいのですが」と伝えたら「とりあえず混雑しておりますので、そちらの階段を昇って下さい」と案内された
駅は赤茶のレンガ造りで駅員のいる窓口は簡素なもの、そこに何十人と列車から降りた人が詰めかけていた

「あの階段登ったらええねんて」
母に伝え、2人で黄色の切符をもって歩いた
梅田8番出口の矢印に従って歩いた、薄暗い中をポロポロと他にも人が歩いていた
私は内心まだ早く電話をして琵琶湖の津波をつたえなくては、と焦り心配していたが
歩いても歩いても8番出口に辿り着かず疲れてしまった
また人集りがあったので意を決して向かうと中心には駅員がいたので8番出口に行きたい旨を伝え、黄色い映画のチケットみたいな切符を見せると「どうして処理してないんですか!」と怒鳴られた。1番初めのところで見せなくてはならなかったらしい。とても怒られた。

駅を出ても8番出口には、まだ辿り着かず晴れた梅田らしいところの歩道橋をゾロゾロ歩いて駅の中も歩いて、空腹に耐えかね何か食べたくなってきたので母に「とりあえず休もう、休憩しよ」と言ったのが21時頃。
飲食店はキラキラ、オレンジのイルミネーションとしっかりとした人生の人たちが賑やかに食事を楽しんでいた
私たちはヘトヘトで、そんな賑やかで人の多いところで休む気にはなれなかった。

賑やか過ぎる駅ビルを出て青空が良く見える歩道橋を進み、いくつかの喫茶店覗いては
母がやれ「カレーは気分じゃない」だの「ここは煙草が吸えへん」だのお気に召さないようで
何度も通り過ぎ、もう休めるならどこでもいいんじゃないかと、私はもうどうでもよくなった頃
赤い看板が扉にかかる喫茶店が目の前にあったのでよく見てみると「猫 います トビラ開閉 注意」「2階席 広いです」と母も気になったようなので やっとの事で入店できた。

店に入ってすぐの所に白い階段があり
所々に猫が伸びたり飛んだりしていた
私はまだ琵琶湖の浸水が気になっていたが
座敷の白いラグが猫の毛足みたいにサラリとしたふわふわで やっと座れたことに安堵した。

琵琶湖の祖母に電話してみると
「そっちから見たら酷いようだけど、大したことじゃなかったんよ」と言われたが やはり向かった方がいいだろうと母と話をして
スパイスが少しオシャレに添えられたカレーを食べた。



寝起きからとても疲れて今日は一日、
そうだ こんなにも強烈だったんだから
書いてみようと思った
最近、夢をよく見る、とても疲れる。